全ての藝術の根は『御靈鎮め』にある。

はふりとは…
「 祝 」
神に仕え斎祀る者の意。
「 葬 」
還る御靈を弔いお送りする意。

〜島根県奥出雲比婆山の伊邪那美御陵〜
書史上、初めて記されている「葬」は古事記より「伊邪那美神は出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき」。母神であるイザナミ神が、火の神を産んだ時に火傷して亡くなり奥出雲の比婆山に葬られます。大いなる「祝」いのちの誕生は母の宮からでありながらも、「葬」の縁もイザナミ神にあり奇しきことに感じられます。

そして「 羽振り 」。羽衣、比礼、袖を振ることは、邪を祓い神聖を招く「振る舞い」とされます。
『 京丹後國風土記 』
日本最古の天女伝説。北斗八星の八人の天女が天降り、天女達が纏っていたという羽衣(比礼)。
『 天河大辨財天女伝 』
天の安河の宮、天河。吉野の山に天降った天女は、時の天皇に衣の袖を振り祝福を示したという。

造化三神・サムハラ大神とも深い因縁のあった合氣道創始・植芝盛平師は「合氣の極意は天之浮橋の上に立つことである」と。植芝師が後継にと望まれた野口整体創始・野口晴哉先生の奥様にご縁いただき京都道場に通い修練させていただいたのが三十年前。「美は抑制である」と野口先生は遺しておられます。

わたしたちは…
靈(ひ)であることを自覚し
靈の元の『 靈人(ひと)』として
鎮まり 在る。
天之浮橋の上に立ち
『 天の氣 』『 地の氣 』を むすひ
『 合氣 』となりて
天と地の 間(あわひ)に立ち
天地人(あめつちびと)として 生きる。

〜天女伝説・京丹後の磯砂山からの景色〜
うつし世の 祝 葬 の道ゆきに
舞を手向けて 祈り 祀らん